理事長・院長 原正幸先生
1976年 明海大学歯学部卒業。同年 名古屋市・河合歯科医院勤務
1979年 愛知県長久手町で開業
1998年 長久手市よし池に移転後現在に至る
歯学博士
顎咬合学会指導医
OSEO SKARP INSTITUTE 名古屋主幹
L&M IMPLANT KLINK所長
著書・共著・監修
2002年3月 「ネット・で・ワーク ―21世紀型歯科医院経営」
2003年7月 「キャッシュフロー経営って?」
2006年4月 「裸のインプラント
―インプラント職人・原正幸vs病態学者・井上孝」
2008年4月 「それからの裸のインプラント」
2012年2月 「インプラントのトラブル解決FAQ」
(以上 デンタルダイヤモンド社)
2012年4月 「アストラテックインプラントのすべて」
(クインテッセンス出版)
原幸弘先生
2016年 愛知学院大学歯学部 卒業
2017年 医療法人志萠会原歯科勤務 現在に至る
今回は、㈱ジャパンデンタル中部支店臼井支店長にお取引先である愛知県長久手市開業の医療法人社団志萠会原歯科 原正幸理事長・院長とご子息の原幸弘先生にお話しをお聞きいただいた。原理事長には、「歯科医院の経営」第49号(2000年1月発刊)にご寄稿いただいて以来2回目のご登場となります。原理事長は、1976年明海大学を卒業され3年後の1979にご開業、1992年2月に医療法人を設立、1998年2月に現在の長久手市よし池に移転されました。
今も開業当初から変わらない診療方針で多くの患者さんを診ておられます。最初に原理事長にご登場いただいた当時から、今では大きく変化としたことがあります。理事長先生のお二人のご子息のうち、ご長男の幸弘先生が歯科医師とならて原歯科に勤務されています。ご二男も、現在は歯科大学在学中です。次のステップとして、将来の事業承継に向けた準備も着々と進められているのです。今回は、理事長先生の治療や患者さんに対する思い、また幸弘先生の思いも交えてご紹介させて頂きます。
口の中を「見える化」し、患者の理解と信頼を得る
■ 歯科医師をめざされたきっかけや開業の経緯について教えてください。
-原理事長
私は小学生の頃、野口英世の伝記を読んで医療に関心を持つようになりましたね。長野県生まれですが、父の仕事の都合により東京など各地で子ども時代を過ごし、大学卒業後は、叔父が愛知県歯科医師会の顧問弁護士をしていたご縁もあって、県内の歯科医院で勤務しました。そして1979年、ここから少し離れた所に開業しました。
現在のこの建物は1998年に移転新築したものです。1階は診療室、2階は会議や研修ができるスペースとなっており、現在は歯科医師5人を含む総勢13人が在籍しています。患者さんは開業以来、親子2代で通ってくださる方やクチコミで来られる方が多いですね。
-幸弘先生
私は2016年に大学を卒業して研修を終え、当院で勤務を始めたばかりです。一時は教育者になりたいと思ったこともありましたが、父の姿を見ていて自然に歯科医師の道へ進みました。
■ 普段大切にされていることはどんなことでしょうか?
-原理事長
当院の理念は、「信頼され、必要とされる歯科医院をめざす」ことです。そのためには高い技術や知識に支えられたスタッフ、治療が必要であり、具体的には診療の「見える化」に取り組んでいます。一般的に検査結果は数値がずらっと並んで意味がわかりにくいことがありますよね。私が30年以上前に開発した歯の診断ソフトは、歯の1本1本の状態をパソコンに入力すると、それが全部イラストとしてプリントアウトでき、歯周病や虫歯、磨き残しの多い箇所などが目で見てわかります。これを活用し、わかりやすく適切に歯の状態を把握することができるようにしています。
-幸弘先生
私は治療の技術も患者さんへの接し方も勉強の毎日です。患者さん目線に立ち、自分がされて嫌な治療はしないこと、かぶせ物一つにしても長持ちするようにと気持ちを込めて治療することが医療人として大切だと思っています。
■ 「見える化」は、患者さん目線に立つことにつながりますね。
-原理事長
プリントアウトされたものを確認しながら念入りに歯磨きする方もおられます。歯科医療とは、まず自分の状態を把握してはじめて治療がスタートするものです。 患者さんが正しく理解するための情報は強調してお伝えする、そうして治療を進めるほうがお互いにいいですよね。
当院ではスタッフについても「見える化」しており、身だしなみや患者さんへの声掛け、意欲、また技術面などを自分で採点し表にしています。数字を目で見て確認し、ミーティングでお互いに高め合うよう努力しているのですよ。当院はチームとしては、どこにも負けない自負を持っています。
歯科医師は「どれだけ人を幸せにしたか」が大事
■ こちらでは保険診療や自費診療にとらわれない総合的な歯科医療をされているそうですね。
-原理事長
そうですね。 ただ患者さんの歯を守るための基本は、インプラント治療をしなくてもいいように予防管理をしっかりすることだと思っています。それでも歯をなくしてしまった場合、どうしてそうなったのか患者さんにも考えていただきたいし、二度とそうならないように他の歯を守ることを一生懸命にしていただきたいですね。
インプラントは、一つの治療法です。入れ歯やブリッジについても、当院では専門のカウンセラーが費用も含めて詳しくご説明しており、最終的には患者さんに治療法を選択していただいています。
■ インプラント治療においてはスウェーデンとの関連が深いのですね。
-原理事長
インプラントは、「第二の天然歯」としてスウェーデンで開発されました。私はこのインプラント治療が発祥した地で専門的に学ぶため、40歳の頃スウェーデンに行きました。 現在のクリニックの設計には師事するドクターにも携わっていただき、特にオペ室の設計はスウェーデンの影響を受けています。 私の師、ラース・クリスターソン先生と手術室の中で一緒に過ごした時間は日本人の中で一番多く、育てていただきました。
その後、師が全国で講演をされるときには私も一緒に講演をするようになりました。その息子さんも私の家で寝泊まりされたことがあり、親しいお付き合いをさせていただいています。お互いの国を行き来して行う、歯科医師やスタッフの研修はもう24年続いています。
■ 先生方にとって「歯を守る大切さ」とはなんでしょうか。
-原理事長
私自身も、両親もインプラント治療をしているのですよ。そうした身近な人たちや患者さんを見ていると、亡くなる前日まで好きなものを食べたり、高齢でもご夫婦で海外旅行に行かれたり、健康に過ごしている方が多いなと感じます。私の父は胃がんで胃をすべて摘出したのですが、手術後は医師も驚くほど食欲が回復し、よく噛んで食べていました。 噛むことが脳への刺激になり、認知症予防になるともいわれていますよね。
「80歳で20本の歯を残そう」というのは、食べるためだけではなく人生の質を保つためなのです。歯科医師の仕事は、「どれだけ多く治療したか」ではなく、「どれだけ多くの人が生活の質を高め、幸せな人生を送れるようになったか」で評価されると思います。それが歯科医師の使命であり、存在意義でしょうね。
「患者さん第一」を引き継ぎ、仕事を丁寧に
■ こちらでは研修や教育にも力を注がれていると伺いました。
-原理事長
はい、私が師事するドクターを名誉顧問としたO.S.I(オッセオ・スカルップ・インスティテュート)は、歯周病や咬合も含め、顎口腔系の機能回復を目的とするインプラント本来の治療術を伝えるべく設立したもので、当院には毎年、全国から定期的に歯科医師、歯科衛生士が集まり、参加型の研修を行っています。
技術だけではなく、自然を追求し、余分な医療は介入しない、本来人間が持つものを大切にしようというスウェーデンのフィロソフィーを日本に定着させたいという思いもあり、スウェーデンの先生方や歯科衛生士の方々からいろいろなことを学んでいます。
■ 幸弘先生は、今後の展望についてどのようにお考えでしょうか?
-幸弘先生
当院に勤務したのは、歯科医師としての父を尊敬できるからこそ。 父は家でもクリニックでも優しいですが、やはり仕事のときは「患者さん第一」という気持ちが出るのか引き締まった表情になりますね。 父が師事するドクターから続く技術や、筋が通った父の信念はずっと引き継いでいきたいと思います。
弟が現在、歯学部に在籍しているのですが、将来一緒に仕事をするときには、父が専門としてこなかった矯正治療にも取り組んでいきたいと思います。これからも勉強と努力を続け、それを患者さんに還元し社会貢献することで、歯科医師としての役割をしっかり果たしたいと考えています。
■ 理事長の信念は次世代に受け継がれていくのですね。
-原理事長
息子たちは昔から仲が良いので、助け合っていってくれればと思っています。ところで先日、当院で治療したドイツ人の患者さんが手紙をくださったんですよ。 ドイツに戻り3軒の歯科医院へ行ったら、3軒の先生すべてに「どこで治療したのか、これはかなり専門的な仕事だ」と言われたということで、「自分がそれほど高度な治療を受けたとは当時はわからなかった。感謝している」という内容でした。
実はその前にも、ある患者さんから、東京の歯科医院で当院での治療跡を見た先生に「ここまできちんと治療されるとは」と驚かれた話を聞いたのです。いずれも特別な治療ではなくて、普通の保険治療だったと記憶しています。患者さんのために丁寧に仕事をしていれば、誰かが評価してくれるのだと痛感しました。当院のスタッフは皆、そうした志を持って仕事をしてくれています。それを今後も全員で心がけていきたいですね。
私(㈱ジャパンデンタル 中部支店長 臼井)は、原理事長と20数年の間お付合いさせていただいております。20数年前から今日まで続く長い間には、単に順風満帆なだけでなく、歯科医院経営の部分を含めて原理事長が難しい課題を乗り越えられてきた時期にも比較的お近くでお話しをさていただくことが出来ました。様々なことで厳しい時代も存じ上げておりますが、原理事長はどんな時でも決して経営方針を変えることなく、常に前向きな姿勢で治療にも歯科医院経営にもあたってこられました。
70歳を目前にした今でも第一線で治療にあたり、若い歯科医師の指導にも力を注ぎ、常に来院される方を「患者さん」と呼ばれる姿勢には頭が下がります。
今後も原理事長には、ぜひ生涯歯科医師として頑張り続けていただきたいと思います。更に幸弘先生には、原理事長の志を継承されつつも、原歯科として弟さんとご一緒にどんな新しい展開をしていかれるのかと、私自身は仕事を離れたとしても期待せずにはいられません。