歯科医院”事業承継塾”
第3話
3代目の承継を実現した父と二人の息子たち
恒吉雅顕
株式会社インベストメントパートナーズ
執行役員/ゼネラルマネージャー
資産形成コンサルタント
恒吉雅顕先生プロフィール
1972年 福岡県太宰府市生まれ
2006年 株式会社インベストメントパートナーズ設立メンバー
2014年 公益法人日本医業経営コンサルタント協会
コンサルタント認定登録
2015年 「開業医の為の資産形成塾」
幻冬社メディアコンサルティングより出版
全国500人以上の個人開業院長、医療法人理事長を中心に、人生設計をサポートし、医院形態、規模、年代、地域性など、集積したデータをもとにリタイアメントにむけた資産形成の設計管理を行う。また、士業連携チーム(税理士、会計士、FP、弁護士など)と共に医療法人化、医療譲渡、相続、労務問題、スタッフ教育などの諸問題を幅広く解決している。
瀬戸内海に面した小さな町でK歯科医院は1954年に開業した。祖父の代から続く医院を経営しているのは承継してから8年目のK兄弟である。祖父の代からの患者さんは通院歴が60年を超える人もいる。医院に限らず一般企業でも兄弟での承継は上手くいかないという世間一般の常識がある。
私自身の経験上、夫婦間や院長とスタッフの間に少しでもわだかまりがあると、空気感で察する事ができるが、この兄弟はそれを一切感じさせなかった。院内のいい空気は売上に直結し、現在も安定的に業績を伸ばしている。年の差は4歳。出身大学も専門も違う。寡黙な兄と社交的な弟。失礼ながら性格も見た目も兄弟とは思えないほど似ても似つかない。これほど共通点がない二人の医院が上手くいっている理由が、初めてK歯科医院に行った時点では全く分からずにいた。
■歴史と重圧
「これ借りていくねぇ。お疲れ様でした。」
接遇関連の書籍を数冊片手にタイムカードを押すスタッフは、弟が高校生の時から勤めているベテラン衛生士である。二人が子供の頃、父から毎日「天声人語」を読んで作文を書くよう厳しく言いつけられてきた。しかし記憶に残るほどの嫌だった思い出も、常に考え、広い見解を持つ習慣が身についたことを今となっては感謝している。医院スタッフの学びの風土は、おそらく父の影響で根付いたものかもしれない。
兄は小さい頃からずっとK歯科医院を継ぐように言われてきた。中学の反抗期には国連で本気で働こうと熱を上げていたが、冷静さを取り戻した結果、やっぱり歯科医を目指そうと腹をくくった。ルックスが自慢で学校の人気者だった弟は芸能人になりたかったそうだ。
進路に迷っていたころ父親から、「とりあえず歯科大に入ってから考えたらいい」と言われ『自分探しの旅』のつもりで歯科大に入学した。それから最低限進級できるだけの成績はとりながらバンド活動に明け暮れた。メジャーデビューを目指し、レコード会社からのオファーを待ったが、結局一度も声がかかることはなく諦めた。
大学4年生の時だった。それからは歯科に必死で向き合いライセンスを取得した。やる気に満ち溢れた兄は大学卒業後、まず技術と経験値を上げるため、とにかくハードな職場を選んだ。しかし兄は2つ上の指導医しかいない研修環境に見切りをつけ、早々にK歯科医院で父の手ほどきを受けることにした。まだまだ父の技術にとうてい及ぶ事はないと解っていたが、患者さんとの揺るがない信頼関係が鮮明に見えたとき圧倒的な実力の差を見せつけられた。
半人前を痛感した兄はその差を必死に埋めようと、休日返上で積極的に研修に参加、またヨーロッパ中心に最新技術の研究に没頭し、自らを磨いていった。
弟は3年間の研修後、自信満々で実家に戻ってきた。しかしはじめて父と兄の姿を見たとき、歯科医としての2人の姿に驚愕した。勤務医という立場とK歯科医院の看板を背負っての治療とでは本質的な熱量が違う。クラシックが流れる穏やかな院内の雰囲気の反対側に、祖父の代から創りあげてきたポリシーを守ろうと必死に戦う2人の緊張感がそこにはあった。先代の思いを受け継ぎ、期待に応えるということは、想像していた何十倍のプレッシャーがあると思い知らされ、さっきまであった絶対的な自信は一瞬でどこかに吹き飛んでいった。
■百年歯科医院
「60歳でやめる」と宣言していた父は、結局弟が戻ってから2年後の62歳であっさり引退した。ここから二人の医院経営がスタートする。急な事業承継ではあったが、最新歯科技術を究めつつ石橋をたたいて渡る兄と、バランス感覚がよくチャレンジ精神旺盛な弟をみて、二人に後を託したのかもしれない。しかし父への患者さんの信頼は、後継ぎの二人にとってはプレッシャーが大きすぎた。
「・・・お父さんの頃はよかった」「・・・親父さんはあのときこうしてくれた」治療中に、物言わぬ患者さんの心の叫びが聞こえてくる恐怖と緊張感は未だに抜け切れないでいるという。しかし今となってはこのプレッシャーこそが二人のモチベーションの原動力となり「先代に恥をかかせられない」「患者さんを裏切れない」という思いが、患者さんに寄り添う医療サービス提供者にとって心地よい圧力となっている。
現在兄は院長に就任し、弟は医療法人の理事長である。医療技術を高める兄と経営全般を指揮する弟は、兄弟分業のバランスが見事に取れている。安全を優先した乗り物の発明と経営の舵取りをした、本田宗一郎と藤沢武夫の関係に似ているのかもしれない。また専門は兄が入れ歯や最新の義歯、弟はインプラントと矯正で各々がその分野で技術を研鑽向上している。父が患者さんを本気で怒っていたがその裏には大きな温情があったこと、「医療に都会も田舎も関係ない!」とメーカーを怒鳴りつけていたこと・・・父の話題になると「自分たちは全然そこまでいってないね」と兄弟で思い出を振り返る。
しかしお互いの能力、個性が足し算から掛け算になったとき、二人の三代目は先代と二代目の父を超える可能性を十分秘めている。これからもお互いを認め、お互いを尊敬し、高めあいながら二人三脚で歩んでいくことができれば、もっと経営は上手くいくと信じている。「患者さんの歯を一生涯面倒見る」という先代の方針は、二人の将来ビジョンである『百年続く歯科医院に』に具体化された。K兄弟は百年後のその先も、時代の変化についていける後継者が育つ環境づくりに既に取り組み始めている。
K歯科医院にみる親子承継の成功要因とは
歯科医院に限らず、事業承継成功には一通りではないが、間違いなく成功要因は存在している。企業や事業は歴史が長い。一方、歯科医院は明治39年歯科医師法が制定され歯科医院が始まったといえる。さらに昭和36年国民皆保険制度創設後は、長らく歯科の開業には恵まれた時代が続き、親の事業を承継しなくても新たに歯科医院を開業することが難しいことではない時代が続いた。親とは別のところで子供が開業する例があったり、子供が医院を承継しても親と一緒ではうまくいかず、新たに開業するケースもあったように歯科医院を事業承継することにあまり重きが置かれることはなかった。歯科医院の経営環境が厳しくなり、開業が困難になると同時に歯科医院の承継に焦点が当てられるようになったのは近年であると言える。
そのような中、今回のK歯科医院の承継の事例は歯科医院の承継においてとても貴重なケースであり、学ぶべき点が多いと思う。70年続く、3代目の承継であるという点、さらに3代目は兄弟2人で歯科医院を承継したという点、弟が理事長、兄が院長として共同経営しているのである。
■K歯科医院の承継の成功要因は何か。
ではここで「K歯科医院の承継の成功要因は何か。」を考えてみたい。
K歯科医院独自の成功要因はあるにせよ、共通要因や学ぶべき要因を探ってみたい。
①この医院に通いたいと願う患者さんの存在が多くあること。
「三代に渡って医院を経営していると、三代続けて通い続けてくれる患者さんや二代続けて通ってくれている患者さんがたくさんいるんです。」との兄の言葉があらわすように、医院が多くの患者さんから必要とされていることが成功要因の重要なひとつである。
さらに患者側から言えば、たとえば患者Aさんが40才で50才のB先生に診てもらったとする。70才でB先生が引退、Aさんは60才である。Aさんには自ずと次世代のドクターが必要になる。つまり患者Aさんのために歯科医院には次世代の歯科医師が必要なことがわかるのである。
➁守るべきポリシーがあること。
「当時の父親の歯科医としての腕は素晴らしくて、決して優しいだけじゃなく、時には厳しく接する事もあったのに患者さんからの信頼は抜群に高かったです。」と兄の言葉にあるように、「守るべきポリシーがある」ということ、目標とする姿があるということは、新規開業にはない承継の使命感であり、後継者がめざす目標となる。
③お互いの敬意・信頼
「父親も兄貴も歯科医としてみた時に単純に凄いという印象でした」との弟の言葉が表すように、先代と後継者、さらには後継者同士が敬意を抱き合っているということである。兄弟2人が揃って一つの医院の後継者になることはかなり珍しい。
親子の承継でもお互いに敬意を抱くことができる状況は重要な要因である。まして兄弟でひとつの歯科医院を永続的に経営をすることは、至難の業といえるかもしれない。この至難の業を実現するためには、コミュニケーションをよくするしくみを作っていくことが重要な要素となる。
次に述べる経営会議もそのスタイルのひとつと言えよう。
■経営を改善しお互いの信頼を高めるしくみ
歯科医院の経営は今なお、ほとんどの医院がなりゆき経営である。経営の目標をつくり、目標達成のための計画をたてて、計画を実現する行動をするという意識はまだまだ少ない。計画をたて、目標達成するということは経営を改善する上では欠かせないが、経営を改善するということは業績を上げるということだけでない。もっと大きなことは、目標に向かって進むことが、コミュニケーションをよくし、信頼を高めることにつながるということである。
計画を達成するためには経営会議を行わなければならない。経営会議は未来のために対話することができる。しっかりしたテーマを持って計画実現に目を向けて対話することができるのである。
計画をたてる際には目標をたてることが必要で、目標を立てるためには、目標の意義を共有し、目標数字を共有しなければならない。理念やビジョンを共有し、方向性を確認し、ビジョン達成のための目標設定をする。目標達成のための方法などを計画にする。そうすれば日々を成長に向けて行動していくことができ、経営会議で能動的な対話を行うことができる。経営のサイクルの中で重要なコミュニケーション機能となるのである。
最後に
医院は院長の気力、体力の衰えと共に、医院が衰退していく。
65歳以上の院長の医院はほとんどが1日患者数10人前後である。
年齢と共に気力・体力が衰えることは避けようがない。特に、55歳を超えてくると、急激に体力、気力の衰えが出てくる場合が多い。それまでに、院長だけに依存するのではなく、組織として医院を維持できるだけの体制を整えておかなければ、医院は衰退していく。
医院を小さくても強い組織にしていくことが欠かせない。そのためにも目標設定、計画作成、経営会議実施は重要な経営の機能となる。
(税理士法人ネクサス 代表社員 角田 祥子)